☆マークス回想録

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《どなたか良い情報あったら教えてください。

先日修理に高島屋に持ち込んだが、にべもなく断られた。
理由は古すぎ、だそうだ。60~70年前くらいなのかな?》

その古い写真にはまだ赤ん坊の父を抱く
立派な口ひげをたくわえたスーツ姿の祖父とその横に着物をきた祖母、
そして中国人が写っていた。

「子供の頃、お父さんが住んでいた大連の家には中国人の使用人がいて
身の回りの世話をしてくれた」
と生前、父が話し始めたとき
「お父さん、いまさらそんな昔の自慢話!」
と母が腰を折った。
「自慢ではない、本当のことだ・・」
と言った父からその話を聞くことは2度となかった。
16年前父は他界した。

アルバム、手帳、さまざまな父の遺品の中にこの時計はあった。
一撃で殺人もできるほど重たいこの大理石の時計。
敗戦後、離れて暮らしていた父の不在の中、
着の身着のままで中国大陸から引き上げてきた祖父たちの荷物の一つと母から聞いた。
えっ?この重たい時計を??

おじいちゃん、緊迫した状況下においてなんでこれをリュックに詰め込んだの?
なんでこれなんだー??
それに答えてくれる人はもう誰もいない。
最後に残った叔母も数年前に他界した。

いまや世界の、がつく時計会社の前身の名前が文字盤の下のほうに読める。
時計の下には、贈 三好氏とかかれてあり当時祖父が勤めていた
青島富士紡績の仲間が三好氏に贈った物のようで
祖父の名前も贈った側に連なっている。
そこでもう一つの疑問。
で、なんでおじいちゃんが持ってるの?だ。

でも、もう誰も答えてはくれないんだよね。

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